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2011.06.14 Tuesday / - / スポンサードリンク

憧憬、あるいは郷愁。

霧とも霧雨ともつかない一面の白い雲の中、足元の歩き慣れた木道だけが辛うじて見分けられた。
草樹の息遣いすら静寂に溶けゆくこの空間に、響くのはただただ自分の足音のみ。
この幻のような夕暮れこそ、山深いこの土地の晩春の風物詩であった。

丸木積みの山小屋に帰り着く頃には陽も落ちかけ、世界を抱く雲は薄暮の紫色に染まっていた。
後ろ手にドアを閉め、手探りで明かりを灯すと、高い三角屋根に縦横に渡された梁の影が映る。
二重ガラスの窓にカーテンを引き、山積みの薪をいくらか暖炉にくべると、程なく穏やかな暖かみが部屋に満ちてゆく。

あり合わせの野菜とホワイトソース、チーズを深皿に放り込み、薄切りのパンと並べて暖炉の石窯へ。
一杯目のハーブティーが残した湯気を目で追ううちに、焼けたチーズの泡立つかすかな音が聞こえて来る。
山葡萄のジャムの瓶に映り込んだバターナイフは狐色のパンが暖炉から下ろされるのを今か今かと待ち焦がれ、
使い込まれたフォークとスプーンはその傍らでささやかなメインディッシュを出迎えようとしている。

山小屋の煙突から香ばしい煙が立ち上る頃、辺りを覆い包んでいた雲はいつの間にか人里へと流れ去り、
銀の月と無数の星達に飾られた風景に、白樺の枝を走るリスの影だけが僅かばかりの動きを添えていた。
五月を迎え今なお冷え込む山の夜は、どこまでも静かに更けてゆく。


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